ramuneiroのブログ

アラフィフからアラカンまでの日々と両親の遺品整理やら実家の片付けと並行して自分自身の終活について日々 考えていることを綴る

keepsake from my mother 母から最期の誕生日プレゼント

先週の水曜日、今後のわたしの人生において大事な一つめの試験があった。

最近あまり着ることのないスーツを着用し、ラッキーカラーと誕生石を兼ねたふくろうのブローチを胸元につけて臨んだ。試験自体は、1時間。

この日に備え、準備してきた…が、久しぶりの試験には、やはり緊張した。

結果、合格。つぎの試験に臨んで良いとのこと。


ブローチは、母ががんとわかる前に地元の百貨店でわたしの誕生日にと買っておいてくれたもの。

最期の誕生日の贈り物になり、形見の品となってしまった。


生前、母は自分の給与やボーナスで、気に入った貴金属を見つけては、購入していた。2人の娘を思いながら、自分が亡くなった後に、喧嘩しないで、形見分けできるようネックレスを買ったら、次もネックレス、パールなら次もパールという風に。


亡くなった後、確かに二品ずつ似て非なるものが母の桐ダンスの引き出しにしまわれていたのを確認した。

亡くなった直後、その気持ちはありがたかったが、母の死を認めたくなくてそのまま引き出しにしまいこんだままだった。妹の引っ越しに伴い、久しぶりにその引き出しを開けた。形見分けは、結局まだしないまま、また引き出しに仕舞い込んだ。試験が全て終わったら、妹と形見分けして身につけようと思う。

写真と映像の生前整理  …天国から母の遺言

先週から、主人が、いままで撮り溜めたスマホやらガラケーの写真整理をしてくれている。

写真の生前整理...



久しぶりに、元気な頃の母の映像に会った。


母が亡くなる前、まだ意識混濁していない時期、

主人と帰省した。

わたしがお花の水換えに席を外したときに、

母が、主人に言った言葉。

主人にとっては遺言になった。


1分でも1秒でも、長く側に居てやって下さい。



母が亡くなって7回忌前に、主人から聞かされた。

その話を聞かされたそ時もだけど、今日改めて元気な頃の母の映像見て涙が、でた。

そして、母にまた会わせてくれて感謝。


私達、仲良く暮らしています

一戸建てからマンションへのリロケーション

4年前に妹は突然、腰椎椎間板ヘルニアを発症し、手術をした。

日頃の運動不足がたたり、手術後もかなりリハビリに励んでいた。


高齢者でなくても、手術後のお一人様の大変さを初めて、わたしも妹も実感。


健康なカラダなら、普段なにげにできているお勝手仕事や洗濯を干すなど大変!


洗濯は、洗濯機という昭和の三種の神器がやってくれるけど、干すのは洗濯機じゃない。脱水の終わった洗濯物は、2階のベランダまで持って運ぶ。

脱水したとは言え、乾燥してない衣類は、複数枚となると結構重い!

リハビリをしてくれていた理学療法士さんは、妹の高校時代の同級生だからお一人様に向かって、歯に絹着せぬはっきりと物いう人。細かい指示を受けていた。

とにかく、鍛えてないカラダには肝心な体幹を支える筋肉がない。

まず、洗濯物を持って2階へ上がらないように言われていた。


それから、食事の支度。

お皿は、紙皿かプラスティックで…と。

食器も立派なものともなると、これまた重いのだ。

作ったものをお皿に載せて、まとめてお盆やトレイに載せてテーブルに運ぶのも腰に負担が来るよと言われていた。

お米も、3合ともなると重い。


どこに米を保管しているかにもよるけれど、もちあげると結構な重さ。


妹が退院した翌日、3キロで買っていたお米。これを1合ずつ、ペットボトルやらビニル袋やらに入れ替え、冷蔵庫の取り出しやすい場所へ保管しなおした。


…退院までに、医師や看護師さん、理学療法士さんたちから、リハビリや日常生活のことで、いろいろと注意事項を聞かなきゃいけないのは、高齢者だけでは、ない。

…と、知りました。

そんな訳で、妹はマンションへのリロケーションを決意したのでした